ヴィリニュスの戦い (1702年)
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ヴィリニュスの戦い | |
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カール・グスタフ・メルナー、ダーフィト・クラフト作。 | |
戦争:大北方戦争 | |
年月日:1702年4月5日(ユリウス暦) 1702年4月6日(スウェーデン暦) 1702年4月16日(グレゴリオ暦) | |
場所:ポーランド=リトアニア共和国、ヴィリニュス | |
結果:スウェーデンの勝利 | |
交戦勢力 | |
スウェーデン帝国 | ポーランド=リトアニア共和国 |
指導者・指揮官 | |
カール・グスタフ・メルナー | ルドヴィク・コンスタンツィ・ポチェイ |
戦力 | |
2,500-3,000 | 3,000 |
損害 | |
戦死約50 | 戦死約100 大砲2門喪失 |
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ヴィリニュスの戦い(ヴィリニュスのたたかい)、またはヴィルナの戦い(ヴィルナのたたかい、スウェーデン語: Slaget vid Vilna)は大北方戦争中の1702年4月16日、リトアニア大公国の首都ヴィリニュスで生起した戦闘。ヴィリニュスがスウェーデン軍にたやすく包囲、占領された後、リトアニアの大ピサシュのルドヴィク・コンスタンツィ・ポチェイは軍勢3千(文献によっては2千から4千と幅がある)で奇襲を仕掛けた。スウェーデン側もカール・グスタフ・メルナー率いる軍勢3千と同程度の軍力であり、ヴィリニュス市内で待ち構えた[1]。ただし、病気により実働部隊は約2,500人である。例えば、ダラ連隊は元は1,200人だったが、戦闘直前には740人しかいなかった[2]。攻撃は撃退され、ポーランド=リトアニア軍は100人と大砲2門を失って撤退、スウェーデン軍は50人が戦死した[3]。その後、ヴィリニュスはメルナーがカール12世の対アウグスト2世戦役に加勢するために離れるまでスウェーデンの支配下に留まった。その後、ヴィリニュスはスウェーデンのカール・グスタフ・デュッケル将軍によって1706年に奪回された。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- Loe, Teresa (2012). Where did all the soldiers go? - An analysis of the Losses experienced by the Swedish Army during the Great Northern War (PDF) (Master's). Upsala University. Academic Archive On-lineより2014年11月13日閲覧。
- Sliesoriūnas, Gintautas (2009). “The First Occupation of Vilnius during the Great Northern War (April-May 1702)”. Lithuanian Historical Studies 14. ISSN 1392-2343 .